維摩経(ゆいまぎょう)

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維摩経(ゆいまぎょう) (巻中之第一)

文殊師利(もんじゅしり) 問疾品(もんしつぼん) 第五(だいご)


文殊師利(文殊師利) (仏に白して言さく)

世尊(世尊) 上人(彼の上人は) 難為 詶對 (酬対なし難く) 深達實相(深く実相に達して) 善說法要(よく法の要を説き)

辯才 無滯(辯才滞ることなく) 智慧 無礙 (智慧無礙なり) 一切菩薩 法式 悉知(一切の菩薩の法式悉く知り) 諸佛祕藏(諸仏の秘蔵に) 無不得入(入ること得ざるは無く)

降伏 眾魔(衆魔を降伏し) 遊戲 神通 (神通に遊戯し)

方便 (その慧と方便は) 皆已得 (すなわち皆すでに度を得て) 雖然當承佛 聖旨 (しかりといえども、まさに仏の聖旨を承(う)け) 詣彼問疾(彼れに詣りて、疾を問うべし)

於是(ここに於いて) 眾中諸菩薩(衆中の諸の菩薩) 大弟子(大弟子) () () 四天王(四天王等) 咸作是念(ことごとく、この念(ねん)を作さく)

今二 大士 (今、二(ふたり)の大士) 文殊師利(文殊師利と) 維摩詰(維摩詰) 共談(共に談(かたら)わば) 必說妙法(必ず妙法を説かん) 即時(即時に) 八千菩薩五百聲聞(八千の菩薩と五百の声聞) 百千天人(百千の天人も) 皆欲隨從(皆随従せんんと欲す)

於是(ここに於いて) 文殊師利(文殊師利は) 與諸菩薩(諸の菩薩) 大弟子眾(大弟子衆) 及諸天人(および諸の天人のために) 恭敬 圍繞 (恭敬囲繞せられて) 入毘耶離大城(毘耶離大城(びやりだいじょう)に入る)

爾時(その時) 長者維摩詰心念(長者維摩詰は、心に念(おも)わく) 今文殊師利(今、文殊師利) 與大眾俱來(大衆と倶(とも)に来たる)

即以神力(すなわち神力を以って) 空其室內(その室内を空しくし) 除去所有 及諸侍者(所有および諸の侍者を除きて) 唯置一床(ただ一の床を置き) 以疾而臥(疾を以って臥せり)

文殊師利(文殊師利) 既入其舍(すでにその舎(いえ)に入り) 見其室空(その室の空にして) 無諸所有(諸の所有なく) 獨寢一床((維摩詰)独り一床に寝(い)ぬるを見る)

時 維摩詰言(時に、維摩詰言わく)

善來 文殊師利(善来(ぜんらい)、文殊師利) 不來相而來((汝は)不来の相にて来たり) 不見 相而見((我は)不見の相にて見る)

文殊師利言(文殊師利言わく)

如是居士(かくの如し、居士) 若來已 更不來 (来たりおわるが若(ごと)ければ更に来たらず) 若去已更不去(去りおわるが若ければ更に去らず)

所以者何(所以(ゆえ)は何となれば) 來者無所從來(来たる者は、従りて来たる所無く) 去者無所至所(去る者は、従りて至る所無し)

可見者更不可見(見るべき所の者は更に見るべからず) 且置是事(しばらく、この事は置かん)

居士(居士) 是疾寧可忍不(この疾は忍ぶべしや不(いな)や) 療治有損(療治は損ずること有りや不や) 不至增乎(増すに至らんや)

世尊(世尊) 慇懃致問無量(慇懃に問いを致すこと無量なり)

居士(居士) 是疾何所因起(この疾は、何の因起する所ぞ) 其生久如(それ生じて久しきなりや) 當云何滅 (まさに云何が滅すべき)

維摩詰 言(維摩詰言わく) 有愛(癡に従りて、愛(愛著)有れば) 則 我病生(すなわち我が病生ず)

以一切眾生(一切の衆生) 病是故 我病(病むを以っての故に、我れ病む)

若一切眾生 病滅(もし一切の衆生の病滅すれば) 則 我病滅(すなわち我が病も滅す)

所以者何(所以は何となれば) 菩薩 為眾生故(菩薩は、衆生の為の故に) 入生死(生死に入る)

有生死 則有病(生死有ればすなわち病有り) 若眾生 得離病者(もし衆生、病を離るることを得ば) 則菩薩 無復病(すなわち菩薩また病むこと無からん)

譬如長者(譬えば、長者に) 唯有一子(ただ一子のみ有りて) 其子得病(その子病を得ば) 父母亦病(父母もまた病み) 若子病愈(もし子の病癒えなば) 父母亦愈(父母もまた癒えんが如し)

菩薩如是(菩薩もかくの如し) 於諸眾生(諸の衆生に於いて) 愛之若子(これを愛すること子の若し) 眾生病(衆生病めば) 則菩薩病(すなわち菩薩病み) 眾生病愈(衆生の病癒ゆれば) 菩薩亦愈(菩薩もまた癒ゆ)

又 言是疾何所 因起(また、この疾は、何の因起する所ぞと言えるには) 菩薩病者(菩薩の病は) 以大悲起(大悲を以って起こる )

文殊師利言(文殊師利言わく) 居士(居士) 此室何以空(この室は、何を以ってか空にして) 無侍者(侍者無き)

維摩詰言(維摩詰言わく) 諸佛國土(諸仏の国土も) 亦復皆空(また皆空なり)

又問(また問う) 以何為空(何を以ってか空と為す)

答曰(答う) 以空空(空なるを以って空なり)

又問(また問う) 空何用 (空に何ぞ空を用うる)

答曰(答えて曰く) 以無分別空 故 (無分別の空を以っての故に空なり)

又問(また問う) 空可分別耶(空は分別すべきや)

答曰(答えて曰く) 分別亦空 (分別もまた空なり)

又問(また問う) 空當於何求(空は何に於いて求むべき)

答曰(答えて曰く) 當於 六十二見 中求(まさに六十二見の中に於いて求むべし)

又問(また問う) 六十二見(六十二見は) 當於何求(まさに何に於いて求むべし)

答曰(答えて曰く) 當於諸佛(まさに諸仏の) 解脫 中求(解脱の中に於いて求むべし)

又問(また問う) 諸佛解脫(諸仏の解脱は) 當於何求(まさに何に於いて求むべし)

答曰(答えて曰く) 當於一切眾生(まさに一切の衆生の) 心行 中求(心の行の中に於いて求むべし)

又仁所問(また仁(なんじ)の問う所の) 何無侍者(何ぞ侍者無きや)

一切眾魔(一切の衆魔) 及諸外道(および諸の外道) 皆吾侍也(皆、吾が侍(者)なり)

所以者何(所以は何となれば) 眾魔者 樂生死(衆魔は生死を楽(ねが)い) 菩薩 於生死(菩薩は生死に於いて) 而不捨(しかも捨てず)

外道者 樂諸見(外道は諸見を楽い) 菩薩 於諸見(菩薩は諸見に於いて) 而不動(しかも動ぜず)

文殊師利言(文殊師利言わく) 居士所疾(居士が疾む所は) 為何等相 (何等の相と為す)

維摩詰言(維摩詰言わく) 我病 無形 不可見(我が疾は、形無し、見るべからず)

又問(また問う) 此病 身合耶 心合耶(この病は、身と合するや、心と合するや)

答曰(答えて曰く) 非身合身 相離故(身と合するに非ず、(病は)身の相を離るるが故に) 亦非心合(また心と合するにも非ず) 心如幻故(心は幻の如きなるが故に)

又問(また問う) 地大(地大) 水大(水大) 火大(火大) 風大(風大) 於此四大(この四大に於いて) 何大之病(何(いづ)れの大の病なりや)

答曰(答えて曰く) 是病非地大(この病は、地大に非ず)

亦不離地大(また地大を離れず)

水火風大(水火風大も) 亦復如是(またまたかくの如し)

而眾生病(しかれども、衆生の病は) 從四大起(四大従り起こる)

以其有病(それ(衆生)に病有るを以って) 是故我病(この故に我れ病む)

爾時(その時) 文殊師利(文殊師利) 問 維摩詰言(維摩詰に問うて言わく)

菩薩 應云何慰喻 有疾菩薩(菩薩は、まさに云何が疾有る菩薩を慰喩(いゆ)すべき)

維摩詰 言(維摩詰言わく) 說 身無常(身は無常なりと説けども) 不說 厭離於身(身を厭離(えんり)することは説かざれ)

說身有苦(身は苦有りと説けども) 不說樂於涅槃(涅槃を楽(ねが)えとは説かざれ)

說身無我(身は無我なりと説いて) 而說教導眾生(しかも衆生を教え導けと説け)

說身 空寂 (身は空寂なりと説けども) 不說 畢竟寂滅 (畢竟寂滅なりとは説かざれ)

說悔先罪(先罪を悔いよとは説けども) 而不說入於過去(しかも過去に入れよとは説かざれ)

以己之疾(己の疾を以って) 愍於彼疾(彼の疾を愍(あわれ)み) 當識宿世(まさに宿世(過去世)の) 無數劫苦(無数劫の苦を識るべし) 當念 饒益 一切眾生(まさに一切の衆生を饒益することを念ずべし)

憶所修福修むる所の福を憶(おも)い 念於 淨命 浄命を念じ 勿生憂惱憂悩を生ずることなかれ

常起精進(常に精進を起こして) 當作醫王(まさに医王と作りて) 療治眾病(衆病を療治すべし)

菩薩應如是(菩薩は、まさにかくの如く) 慰喻有疾菩薩(疾有る菩薩を慰喩して) 令其歡喜(それをして歓喜せしむべし)

文殊師利言(文殊師利言わく) 居士(居士) 有疾菩薩(疾有る菩薩は) 云何調伏其心(云何がその心を調伏(ちょうぶく、制御)せん)

維摩詰 言(維摩詰言わく) 有疾 菩薩(疾有る菩薩は) 應作 是念(まさにこの念(おもい)を作すべし)

今我此病(今、我がこの病は) 皆從 前世(皆前世の) 妄想 顛倒 (妄想、顛倒) 諸煩惱生(諸の煩悩より生じて) 無有實法(実の法有ること無し)

誰受病者(誰か病を受くる者ぞ) 所以者何(所以(ゆえ)は何(いか)んとなれば) 四大 合故(四大合するが故に) 假名為身(仮に名づけて身と為す)

四大無主(四大は主無く) 身亦無我(身もまた我も無し)

又此病起(またこの病の起こるは) 皆由 著我 (皆我に著するに由る) 是故於我(この故に、我に於いて) 不應生著(まさに著を生ずべからず)

既知病本(すでに病の本を知れば) 即除 我想 及眾生想 (すなわち我想および衆生想を除いて) 當起 法想 (まさに法想を起こすべし)

應作是念まさにこの念を作すべし

但以 眾法 ただ衆法を以って 合成此身。この身を合成す

起唯法起(起こるは只法の起こるなり )

滅唯法滅( 滅するは只法の滅するなり)

又此法者(また、この法は) 各不相知(おのおの相い知らず) 起時 不言我起(起こる時、我起こると言わず) 滅時 不言我滅(滅する時、我滅すと言わず)

彼有疾菩薩(彼の疾有る菩薩は) 為滅法想(法想を滅せんが為に) 當作是念(まさにこの念を作すべし)

此法想者(この法想は) 亦是顛倒(またこれ顛倒なり)

顛倒者(顛倒は) 是即大患(これすなわち大患なり)

我應離之(我、まさにこれを離るべし) 云何為離(云何なるをか離るると為す)

離我我所 (我と我所とを離るるなり)

云何離我我所(云何なるか我と我所とを離るる)

謂離二法(二法を離るるを謂う)

云何離二法(云何なるか二法を離るる)

謂不念內外諸法(内外の諸法を念(おも)わず) 行於平等(平等(空)に行ずることを謂う)

云何平等(云何なるか平等なる) 為我等涅槃等(我等しく涅槃等しきと為す)

所以者何(所以は何となれば) 我及涅槃(我および涅槃は) 此二皆空(この二つは、皆空なればなり) 以何為空(何を以ってか空と為す)

但以名字 故空 (ただ名字を以っての故に空なり)

如此二法(かくの如く、二法は) 無決定性(決定の性無し)

得是平等(この平等を得れば) 無有餘病(余病有ること無く) 唯有空病(ただ空病のみ有り)

空病亦空(空病もまた空なり)

是有疾菩薩(この疾有る菩薩は) 以無所受(受くる所無きを以って) 而受 諸受 (しかも諸受を受け) 未具佛法(未だ仏法を具(具足)せざるも) 亦不滅受(また受(三受)を滅せずして) 取證(しかも証を取るなり)

設身有苦もし身に苦有らば 惡趣 眾生悪趣の衆生を念(おも)いて 起大悲心大悲心を起こす 我既調伏(我すでに(我が疾を)調伏せり)

亦當調伏 一切眾生(またまさに一切の衆生を調伏すべし)

但除其病(ただその病を除いて) 而不除法(法(諸法)は除かず)

為斷病本(病の本を断ぜんが為に) 而教導之(これを教え導かん)

何謂病本(何をか病の本と謂う) 謂有 攀緣 (攀縁有るを謂う)

從有攀緣(攀縁有るに従りて) 則為病本(すなわち病の本と為る)

何所攀緣(何の所にか攀縁する) 謂之三界(これを三界(世間)と謂う)

云何斷攀緣(云何が攀縁を断ずる) 無所得 (無所得を以ってす)

若無所得(もし無所得なれば) 則無攀緣(すなわち攀縁無し)

何謂無所得(何をか無所得と謂う) 謂離二見(二見を離るるを謂う)

何謂二見(何をか二見と謂う) 內見外見 (内見と外見は) 是無所得(これ(を離るることは)無所得なり)

文殊師利文殊師利 是為有疾菩薩これ疾有る菩薩の 調伏其心その心を調伏し 為斷老病死苦為に老病死の苦を断ずと為す

是菩薩菩提これ菩薩の菩提なり

若不如是もしかくの如くせずんば 己所 修治 己が修治する所の 為無 慧利 慧利無しと為す

譬如勝 譬えば、怨に勝ちて 乃可為 すなわち勇と為すべきが如し

如是兼除老病死者かくの如くして、老病死を兼ねて除く者 菩薩之謂也菩薩の謂いなり

彼有疾菩薩(彼の疾有る菩薩は) 應復作是念(まさにまたこの念を作すべし)

如我此病(我がこの病の如きは) 非真非有(真に非ず有(う、仮有、仮名)に非ず)

眾生病亦(衆生の病もまた) 非真非有(真に非ず、有に非ず)

作是 この観を作す時 於諸眾生諸の衆生に於いて 若起 愛見 大悲愛見の大悲を起こさば 即應捨離すなわちまさに捨離すべし

所以者何(所以は何となれば) 菩薩斷除 客塵煩惱 (菩薩は客塵煩悩を断除して) 而起大悲(大悲を起こすべし)

愛見悲者(愛見の悲とは) 則於生死(すなわち生死に於いて) 疲厭(疲厭の心有り)

若能離此(もしこれを離るれば) 無有疲厭(疲厭有ること無し)

在在所生(在在に生まるる所) 不為愛見之所覆也(愛見の覆う所と為らず)

所生無 (生まるる所に縛無ければ) 能為眾生說法 解縛(よく衆生の為に法を説いて、縛を解かん)

如佛所說(仏の所説の如く) 若自有縛(もし自ら縛有りて) 能解彼縛(よく彼の縛を解くこと) 無有是處(この処(ことわり)有ること無し)

若自無縛(もし自ら縛無くして) 能解彼縛(よく彼の縛を解くこと) 斯有是處(これはこの処有り)

是故菩薩(この故に、菩薩は) 不應起縛(まさに縛を起こすべからず)

何謂縛(何をか縛と謂い) 何謂解(何をか解と謂う) 貪著禪味(禅味に貪著すること) 是菩薩縛(これ菩薩の縛なり)

方便生 (方便を以って生ずること) 是菩薩解(これ菩薩の解なり)

又無方便慧縛(また、方便無き慧は縛なり) 有方便慧解(方便有る慧は解なり) 無慧方便縛(慧無き方便は縛なり) 有慧方便解(慧有る方便は解なり)

何謂 無方便慧縛(何の謂いぞ、方便無き慧は縛なりとは) 謂菩薩(謂わく、菩薩は) 以愛見心(愛見の心を以って) 莊嚴 佛土(仏土を荘厳し) 成就眾生 (衆生を成就し) 空無相 (空、無相) 無作 法中(無作の法の中に於いて) 而自調伏(自ら調伏す)

是名 無方便慧縛(これを方便無き慧は縛なりと名づく)

何謂 有方便慧解(何の謂いぞ、方便有る慧は解なりとは) 謂不以愛見心(謂わく、愛見の心を以って) 莊嚴佛土(仏土を荘厳し) 成就眾生(衆生を成就せず)

於空無相(空、無相) 無作法中(無作の法の中に於いて) 以自調伏(以って自ら調伏して) 而不疲厭((生死を遊歴して)疲厭せず)

是名 有方便慧解(これを方便有る慧は解なりと名づく)

何謂無慧方便縛(何の謂いぞ、慧無き方便は縛なりとは) 謂菩薩住貪欲瞋恚邪見等諸煩惱(謂わく、菩薩は貪欲、瞋恚、邪見等の諸の煩悩に住して) 而植眾 德本 (しかも衆(もろもろ)の徳本を植う)

是名無慧方便縛(これを慧無き方便は縛なりと名づく)

何謂 有慧方便解(何の謂いぞ、慧有る方便は解なりとは) 謂離諸貪欲 瞋恚 邪見等 諸煩惱(謂わく、諸の貪欲、瞋恚、邪見等の諸の煩悩を離れて) 而植眾德本(しかも衆の徳本を植え) 迴向 阿耨多羅三藐三菩提 (阿耨多羅三藐三菩提に廻向す)

是名 有慧方便解(これを慧有る方便は解なりと名づく)

文殊師利(文殊師利) 彼有疾菩薩(彼の疾有る菩薩は) 應如是觀諸法(まさにかくの如く諸法を観ずべし)

又復 觀身 無常 苦 空 非我(また、身の無常、苦、空、非我なるを観ず)

是名為慧(これを名づけて慧と為す)

雖身有疾(身に疾有りといえども) 常在生死(常に生死に在りて) 饒益一切(一切(衆生)を饒益(にょうやく、利益)し) 而不 厭倦 (厭倦せず)

是名方便(これを方便と名づく)

又復觀身(また、また身を観ずるに) 身不離病(身は病を離れず) 病不離身(病は身を離れず) 是病是身(この病この身は) 非新非故 (新に非ず 故(もと)に非ず)

是名為慧(これを名づけて慧と為す)

設身有疾(たとい身に疾有れども) 而不永滅(永滅(ようめつ、寂滅)せず)

是名方便(これを方便と名づく)

文殊師利(文殊師利) 有疾菩薩(疾有る菩薩は) 應如是(まさにかくの如く)

調伏其心(その心を調伏しても) 不住其中(その中には住せず) 亦復不住不調伏心(また、また調伏せざる心にも住すべからず)

所以者何(所以は何となれば) 若住不調伏心(もし調伏せざる心に住せば) 是愚人法(これ愚人の法なり)

若住調伏心(もし調伏せる心に住せば) 是聲聞法(これ声聞の法なり)

是故菩薩(この故に、菩薩は) 不當住 於調伏 不調伏心(まさに調伏せると、調伏せざるとの心には住すべからず)

離此二法(この二法を離るる)

是菩薩行(これ菩薩の行なり)

在於生死(生死に在りて) 不為污行(汚行を為さず) 住於涅槃(涅槃に住して) 不永滅度(永く滅度せず)

是菩薩行。(これ菩薩の行なり)

非凡夫行(凡夫の行に非ず) 賢聖行 (賢聖の行に非ず)

是菩薩行(これ菩薩の行なり)

非垢行 非淨行(垢行に非ず、浄行に非ず)

是菩薩行(これ菩薩の行なり)

雖過 魔行 (魔の行を過ぐといえども) 而現降 眾魔(衆魔を降伏することを現ず)

是菩薩行(これ菩薩の行なり)

求一切智(仏の一切智を求めて) 無非時求(時に非ざれば求むること無し)

菩薩行 (これ菩薩の行なり)

雖觀 諸法不生(諸法の不生なることを観ずといえども) 而不入 正位 (正位に入らず)

是菩薩行(これ菩薩の行なり)

雖觀十二緣起(十二縁起を観ずといえども) 而入諸邪見(諸の邪見に入る)

是菩薩行(これ菩薩の行なり)

雖攝一切眾生(一切の衆生を摂(摂取)すといえども) 而不愛著(愛著せず)

是菩薩行(これ菩薩の行なり)

雖樂 遠離 (遠離することを楽(ねが)うといえども) 而不依 身心盡(身心の尽くることに依らず)

是菩薩行(これ菩薩の行なり)

雖行三界(三界を行(現生)ずるといえども) 而不壞 法性 (法性を壊せず)

是菩薩行(これ菩薩の行なり)

雖行於空(空を行ずるといえども) 而植眾德本(衆の徳本を植う)

是菩薩行(これ菩薩の行なり)

雖行無相(無相を行ずるといえども) 而度眾生(衆生を度す)

是菩薩行(これ菩薩の行なり)

雖行無作(無作を行ずるといえども) 而現受身(現れて身を受く)

是菩薩行(これ菩薩の行なり)

雖行 無起 (無起を行ずるといえども) 而起一切善行(一切の善行を起こす)

是菩薩行(これ菩薩の行なり)

雖行六波羅蜜(六波羅蜜を行ずるといえども) 而遍知 眾生心 心數(あまねく衆生の心と心数の法を知る)

菩薩行 (これ菩薩の行なり)

雖行 六通 (六通を行ずるといえども) 而不盡漏(漏を尽くさず)

是菩薩行(これ菩薩の行なり)

雖行 四無量心 (四無量心を行ずるといえども) 而不貪著 生於梵世(梵世(四禅天)に生ずることに貪著せず)

是菩薩行(これ菩薩の行なり)

雖行禪定解脫 三昧 (禅定(四禅)、解脱(八解脱)、三昧を行ずるといえども) 而不隨禪生(禅に随うて生ぜず)

菩薩行 (これ菩薩の行なり)

雖行 四念處 (四念処を行ずるといえども) 而不永離 身 受心法 (永く身、受心法を離れず)

菩薩行 (これ菩薩の行なり)

雖行 四正勤 (四正勤を行ずるといえども) 而不捨 身心精進(身心精進を捨てず(無為に入らず))

是菩薩行(これ菩薩の行なり)

雖行 四如意足 (四如意足を行ずるといえども) 而得 自在神通(自在神通を得)

是菩薩行(これ菩薩の行なり)

雖行 五根 (五根を行ずるといえども) 而分別 眾生諸根利鈍(衆生の諸根の利鈍を分別す)

是菩薩行(これ菩薩の行なり)

雖行 五力 (五力を行するといえども) 而樂求 佛十力 (楽(ねが)いて仏の十力を求む)

是菩薩行(これ菩薩の行なり)

雖行 七覺分 (七覚分を行ずるといえども) 而分別 佛之智慧(仏の智慧を分別す)

是菩薩行(これ菩薩の行なり)

雖行 八聖道 (八聖道を行ずるといえども) 而樂行 無量佛道(楽いて無量の仏道を行ず)

是菩薩行(これ菩薩の行なり)

雖行止觀助道之法(止(し、定)観(かん、慧)助道の法を行ずるといえども) 而不畢竟 墮於寂滅(畢竟じて寂滅に堕せず)

是菩薩行(これ菩薩の行なり)

雖行諸法 不生不滅(諸法の不生不滅を行ずるといえども) 而以 相好 (相好を以って) 莊嚴其身(その身を荘厳す)

是菩薩行(これ菩薩の行なり)

雖現 聲聞辟支佛 威儀(声聞辟支仏の威儀を現ずるといえども) 而不捨 佛法(仏の法(大乗)を捨てず)

是菩薩行(これ菩薩の行なり)

雖隨諸法 究竟淨相(諸法の究竟の浄相(無相)に随うといえども) 而隨所應 為現其身(応ずる所に随うて、その身を現す)

是菩薩行(これ菩薩の行なり)

雖觀 諸佛國土 永寂如空(諸仏の国土は永く寂(寂静)して空(虚空)の如しと観ずるといえども) 而現 種種 清淨佛土(種々に清浄の仏土を現す)

是菩薩行(これ菩薩の行なり)

雖得佛道(仏道を得て) 轉于法輪(法輪を転じ) 入於涅槃(涅槃に入るといえども) 而不捨 於菩薩之道(菩薩の道を捨てず)

是菩薩行(これ菩薩の行なり)

說是語時(この語を説く時) 文殊師利(文殊師利に) 所將大眾(将(ひきい)られたる大衆の) 其中八千天子(その中の八千の天子) 皆發 阿耨多羅三藐三菩提心(皆阿耨多羅三藐三菩提心を発せり)


(( 仏国品第一 )) (( 方便品第二 )) > (( 弟子品第三 )) (( 菩薩品第四 )) (( 文殊師利問疾品第五 )) (( 不思議品第六 )) (( 観衆生品第七 )) (( 仏道品第八 )) (( 入不二法門品第九 )) (( 香積品仏品第十 )) (( 菩薩行品第十一 )) (( 見阿閦仏品第十二 )) (( 法供養品第十三 )) (( 嘱累品第十四 ))


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