妙法蓮華経みょうほうれんげきょう 信解品しんげほん 第四だいし

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要約


ある人が、幼い時に父を捨て、逃げ出しています。
長い間、他の国に住み、或いは十年、二十年、五十年も経ちました。
この男は大人になりましたが、大変貧しく、 四方に奔走して衣食を探し求め、放浪し、 偶然に、故郷に辿り着くのです。

その父は、以前より子供を捜し求めていたのですが、 探し出せず、ある町に留まって住んでいました。
その家は大いに富み、財宝は無量にありました。

そんな時に貧窮した息子は、集落から集落、様々な国をめぐり、 遂に父の留まる町に辿り着いたのです。
父は、毎日息子を思い、五十年以上経っていたのです。
そして、こう思うのです。
自分は年老いて、而も多くの財物がある。
金、銀、珍しい宝が蔵に溢れているが、息子がいない。
いつか自分は死んでしまう。
この富や財物を譲るべき者もいない。

もし息子を見つけ出すことが出来きて、 この富と財産を相続できれば、もう心配することはなくなるだろう。
そんな時に困窮している息子は、雇われ転々として、父の家に偶然にやって来たのです。
門の脇に立ち、遥か遠くにいる父を見ます。
獅子に座り、宝石で飾った台に足を置き、 バラモン、王族、商人などに敬われ、囲まれています。
千万の価値のある真珠の花綱で身を飾りたて、 雇い人や召使いが、手に白い払子(ほっす)を持ち、 左右に立ち、宝石が塵ばれられた布で覆われ、 花の旗を垂らし、香水を地に注ぎ、珍しい花を散らし、 宝物が並べられているのです。

このような種々の装飾が有り、威厳に満ちていました。
困窮している子は、父の豪勢さに圧倒され、怖くなり、 ここにやって来た事を後悔するのです。

密かに彼はこのように思います。
この人は王様か、ここは私が雇われるような場所ではない。
貧しい村に行った方が、一生懸命働けば、 食べ物や着る物を得られるかもしれない。
ここにいたら、搾取されてしまうだけかもしれない。
このように思い、走り去ります。

その時、富んだ長者は、獅子の座から子を見て、 即座にそれが息子だと解りました。
心は踊り、息子に財産を与えることができる。
常にこの子を思い続けていたが、息子に会える機会はなかった。
しかし、突然息子が、こちらにやって来た。私の願いは叶ったのだ。

そこで、そばにいる者を使い、その子を連れてくるよう言います。
捉えられ子は、驚き大声で叫びます。
私は何も悪いことはしていません。なぜ捕まえるのですか。
使いの者はしっかりと捕まえ、無理やり連れてきたのです。
困窮している子は、罪を犯してないのに捕らえられたので、これは必ず殺されると思います。
彼は恐れ慄き、気絶して地面に倒れます。
父は、これを見て、使者に言います。

この者を強いて連れてくることはなかった。
冷水を顔に掛け、目覚めさせなさい。
卑屈な駄目な息子は、父の豪勢な姿に近づき難いのです。
父は我が子であると解っていたが、自分の息子だと言わなかったのです。

使者は、その子を放しました。
困窮している子は、非常に喜び、地面から起き上がると、 貧しい村に食べ物や服を求めに行くのでした。
長者は、再び息子が戻ってくることを期待し、 貧相な姿の二人を密かに送り込みます。

あの困窮している子を探しだし、 近づいて穏やかに、こう話しなさい。
二倍の賃金で働ける場所を知っているよ。
困窮している子が、この話に同意したら、 ここに連れてきて働かせなさい。
もし何の仕事をするのかと聞かれたら、 糞を汲み取る掃除をする仕事で、私たち二人も一緒に働きますと言いなさい。
二人の使いはその貧しい子を探しだし、この事を話します。
そして賃金を受け取り、糞の汲み取りの仕事をするのです。

父が時々、息子を見て憐れみ、心配に思うのです。
別の日、窓から子の姿を見ると、疲れて窶れ、、糞や土埃や汗で汚れているのです。
そこで父は、首飾りや柔らかな衣服、全ての装飾品を脱ぎ、 ボロの服を着て、土で体を汚し、右手に糞を取り除く入れ物持ち、 働いている人たちに伝えます。

しっかり働きなさい。
この方便を使い、息子に近づくことができたのです。
息子に、この仕事を続けなさい。どこにも行くんじゃないよ。
もっと賃金を上げてやろう。必要なものなら何でも、 器でも、米や麺、塩、酢もやろう。
私はお前の父のようなものだからな、心配するんじゃないぞ。
そんなことをするのは、私はもう年老いているが、 お前は若いからだ。働くときは嘘をついて怠けたり、 腹を立たせる言葉を言っては駄目だぞ。
今からお前は私の息子だぞ。
こうして長者は名前を選び、わが子のように呼んだのです。

困窮していた子は、非常に喜んだのですが、 彼自身は身分の卑しい、他の人に雇われる人間だと思っていたのです。
それ故に、二十年の間、長者は彼に糞を取り除く仕事をさせ続けたのです。
それ以降は少しずつ理解し、信頼し合い、安心して自由に出入りするようになっていきます。
それでも住む場所は元の汚い場所でした。
長者は病気になり、自身の死が遠くないことが解ります。
長者は困窮していた子にこう話します。

多くの金、銀や珍しい宝が蔵に満ちていて、 人々にどれだけ与えるべきか、お前は解っているのだ。
お前に私の意志を受け継いで貰いたいのだよ。
困窮している子は、その教えと指示を受け、 様々な金や銀や珍しい宝と諸々の収蔵品を引き継ぎます。
しかし彼は、そこから一食分になるものすら貰おうとはしませんでした。
しかも住んでいる所は元のところで、卑しく低俗な考え方を捨てることができません。

父は、息子の心が徐々に立派になり、 卑屈な心根を恥じ、大きな志に立ったことを感じ取ります。
自身の死が近づいていることを知り、 息子に命じて、親族、国王、大臣などを呼び集めます。
全てが集まったとき、このように言うのです。
皆さん。これは私の息子です。
私を捨て、五十年さまよい辛い思いをしてきたのです。
昔、その町で彼を心配し、捜し求めました。
その後、思いがけなく、息子と巡り会うことができたのです。
彼こそ実の我が息子であり、私が実の父なのです。
今、私が持っている全ての財産は、この子のものです。

困窮していた子は、父の言葉を聞いて大変喜びます。
私はこの素晴らしい財産を、求めずして、自ずから手に入れることができました。
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妙法蓮華経
信解品第四

爾時慧命須菩提。摩訶迦旃延。摩訶迦葉。摩訶目犍連。
從仏所聞未曾有法。
世尊授舍利弗阿耨多羅三藐三菩提記。
発希有心歓喜踊躍。
即從座起整衣服。
偏袒右肩右膝著地。一心合掌
曲躬恭敬。瞻仰尊顏而白仏言。
我等居僧之首。年並朽邁
自謂已得涅槃無所堪任。
不復進求阿耨多羅三藐三菩提。世尊。往昔説法既久。
我時在座身體疲懈。
但念空無相無作。於菩薩法遊戲神通
浄仏国土成就衆生心不喜楽。

所以者何。世尊。令我等出於三界得涅槃證。
又今我等年已朽邁。
於仏教化菩薩阿耨多羅三藐三菩提。不生一念好楽之心。
我等今於仏前聞授聲聞阿耨多羅三藐三菩提記。
心甚歓喜得未曾有。
不謂於今忽然得聞希有之法。

深自慶幸獲大善利。
無量珍宝不求自得。
世尊。我等今者。楽説譬喩以明斯義。

譬若有人年既幼稚。捨父逃逝。

久住他国。或十二十至五十歳。
年既長大。加復窮困。馳騁四方

以求衣食。漸漸遊行遇向本国。

其父先来。求子不得。中止一城。
其家大富財宝無量。
金銀琉璃珊瑚虎珀頗梨珠等。其諸倉庫悉皆盈溢。
多有僮僕臣佐吏民。象馬車乘牛羊無数。
出入息利乃遍他国。
商估賈客亦甚衆多。
時貧窮子。遊諸聚落経歴国邑。

遂到其父所止之城。
父母念子。與子離別五十余年。
而未曾向人説如此事。
但自思惟心懐悔恨。
自念老朽多有財物。
金銀珍宝倉庫盈溢。無有子息。
一旦終没財物散失。無所委付。
是以慇懃毎憶其子。
復作是念。
我若得子委付財物。担然快楽無復憂慮。

世尊。爾時窮子。傭賃展轉遇到父舍住立門側。
遥見其父踞師子床
宝机承足。諸婆羅門刹利居士皆恭敬圍繞。
以眞珠瓔珞價直千万荘厳其身。
吏民僮僕手執白拂侍立左右。

覆以宝帳。垂諸華幡。香水灑地。

散衆名華。羅列宝物出内取與。有如是等種種厳飾。威徳特尊。
窮子見父有大力勢。即懐恐怖。悔来至此。竊作是念。
此或是王。或是王等。非我傭力得物之処。
不如往至貧里肆力有地。衣食易得。

若久住此。或見逼迫強使我作。

作是念已。疾走而去。
時富長者。於師子座見子便識。
心大歓喜。即作是念。
我財物庫藏。今有所付。
我常思念此子。無由見之。
而忽自来。甚適我願。
我雖年朽猶故貪惜。
即遣傍人急追將還。


爾時使者疾走往捉。
窮子驚愕稱怨大喚。
我不相犯。何為見捉。
使者執之愈急強牽將還。

于時窮子自念。
無罪而被囚執此必定死。
轉更惶怖悶絶躄地。
父遥見之。而語使言。不須此人。

勿強將来。
以冷水灑面令得醒悟。莫復與語。

所以者何。父知其子志意下劣。自知豪貴為子所難。

審知是子。而以方便不語他人云是我子。
使者語之。
我今放汝随意所趣。
窮子歓喜得未曾有。從地而起往至貧里以求衣食。

爾時長者。將欲誘引其子。而設方便。

密遣二人形色憔悴無威徳者。

汝可詣彼徐語窮子。
此有作処倍與汝直。
窮子若許將来使作。
若言欲何所作。便可語之。
雇汝除糞。

我等二人亦共汝作。
時二使人。即求窮子。既已得之。具陳上事。

爾時窮子。先取其價。尋與除糞。

其父見子。愍而怪之。
又以他日。於窻牖中。遥見子身。

羸痩憔悴。糞土塵坌。汗穢不浄。

即脱瓔珞。細軟上服。厳飾之具。

更著麁弊。垢膩之衣。塵土坌身。

右手執持除糞之器。状有所畏語。

諸作人。
汝等勤作勿得懈息。
以方便故得近其子。後復告言。

咄男子。汝常此作勿復余去。

当加汝價。諸有所須器米麺鹽醋之屬。
莫自疑難。亦有老弊使人。須者相給。

好自安意。我如汝父
勿復憂慮。所以者何。
我年老大而汝少壯。
汝常作時無有欺怠瞋恨怨言。

都不見汝有此諸悪如余作人。
自今已後如所生子。
即時長者更與作字名之為兒。


爾時窮子。雖欣此遇。猶故自謂客作賎人。
由是之故於二十年中常令除糞。

過是已後。心相體信入出無難。

然其所止猶在本処。
世尊。爾時長者有疾。自知將死不久。

語窮子言。
我今多有金銀珍宝倉庫盈溢。

其中多少所応取與。汝悉知之。我心如是
当體此意。所以者何。
今我與汝便為不異。宜加用心無令漏失。

爾時窮子。即受教勅領知衆物。金銀珍宝及諸庫藏。
而無取一餐之意。
然其所止故在本処。下劣之心亦未能捨。
復経少時。父知子意漸已通泰成就大志
自鄙先心。臨欲終時而命其子。

并會親族。国王大臣刹利居士皆悉已集。

即自宣言。
諸君当知。此是我子。
我之所生於某城中捨吾逃走。伶辛苦五十余年。
其本字某。我名某甲。昔在本城懐憂推覓。
忽於此間遇會得之。
此實我子。我實其父。

今我所有一切財物。皆是子有。
先所出内是子所知。
世尊。是時窮子聞父此言。即大歓喜

得未曾有。而作是念。
我本無心有所希求。
今此宝藏自然而至。
世尊。大富長者則是如来。我等皆似仏子。
如来常説我等為子。
世尊。我等以三苦故。於生死中受諸熱悩。
迷惑無知楽著小法。
今日世尊。令我等思惟除諸法戲論之糞。
我等於中勤加精進得至涅槃一日之價。
既得此已心大歓喜自以為足。

而便自謂。
於仏法中勤精進故。所得弘多。

然世尊。先知我等心著弊欲楽於小法。
便見縱捨不為分別。汝等当有如来知見宝藏之分。

世尊以方便力説如来智慧。
我等從仏得涅槃一日之價。
以為大得。於此大乘無有志求。

我等又因如来智慧。為諸菩薩開示演説。
而自於此無有志願。
所以者何。仏知我等心楽小法。以方便力随我等説。
而我等不知眞是仏子。
今我等方知。世尊於仏智慧無所悋惜。
所以者何。我等昔来眞是仏子。而但楽小法。
若我等有楽大之心。仏則為我説大乘法。
於此経中唯説一乘。
而昔於菩薩前毀呰聲聞楽小法者。

然仏實以大乘教化。
是故我等説本無心有所悕求。

今法王大宝自然而至。
如仏子所応得者皆已得之。

爾時摩訶迦葉。欲重宣此義。而説偈言。
我等今曰。聞仏音教。
歓喜踊躍。得未曾有。
仏説聲聞。当得作仏。無上宝聚。不求自得。
譬如童子。幼稚無識。
捨父逃逝。遠到他土。周流諸国。五十余年。
其父憂念。四方推求。
求之既疲。頓止一城。造立舍宅。五欲自娯。
其家巨富。多諸金銀。
硨磲碼碯。眞珠瑠璃。
象馬牛羊。輦輿車乘。
田業僮僕。人民衆多。
出入息利。乃遍他国。
商估賈人。無処不有。

千万億衆。圍繞恭敬。
常為王者。之所愛念。
群臣豪族。皆共宗重。
以諸縁故。往来者衆。
豪富如是。有大力勢。
而年朽邁。益憂念子。
夙夜惟念。死時將至。
癡子捨我。五十余年。
庫藏諸物。当如之何。

爾時窮子。求索衣食。
從邑至邑。從国至国。
或有所得。或無所得。
飢餓羸痩。體生瘡癬。
漸次経歴。到父住城。
傭賃展轉。遂至父舍。

爾時長者。於其門内。
施大宝帳。処師子座。
眷屬圍遶。諸人侍衞。
或有計算。金銀宝物。出内財産。注記券疏。
窮子見父。豪貴尊厳。
謂是国王。
若是王等。驚怖自怪。何故至此。

覆自念言。我若久住。
或見逼迫。強驅使作。思惟是已。馳走而去。
借問貧里。欲往傭作。
長者是時。在師子座。
遥見其子。默而識之。
即勅使者。追捉將来。
窮子驚喚。迷悶躄地。
是人執我。必当見殺。
何用衣食。使我至此。
長者知子。愚癡狹劣。不信我言。不信是父。
即以方便。更遣余人。
眇目矬陋。無威徳者。

汝可語之。云当相雇。
除諸糞穢。倍與汝價。

窮子聞之。歓喜随来。
為除糞穢。浄諸房舍。
長者於牖。常見其子。
念子愚劣。楽為鄙事。
於是長者。著弊垢衣。
執除糞器。往到子所。
方便附近。語令勤作。
既益汝價。并塗足油。
飮食充足。薦席厚煖。

如是苦言。汝当勤作。
又以軟語。若如我子。
長者有智。漸令入出。
経二十年。執作家事。
示其金銀。眞珠頗梨。
諸物出入。皆使令知。
猶処門外。止宿草庵。
自念貧事。我無此物。
父知子心。漸已広大。欲與財物。

即聚親族。国王大臣。刹利居士。
於此大衆。説是我子。
捨我他行。経五十歳。自見子来。已二十年。
昔於某城。而失是子。
周行求索。遂来至此。
凡我所有。舍宅人民。悉以付之。恣其所用。
子念昔貧。志意下劣。
今於父所。大獲珍宝。
并及舍宅。一切財物。
甚大歓喜。得未曾有。

妙法蓮華経
信解品第四(訓読)

爾の時に慧命須菩提、摩訶迦旃延、摩訶迦葉、摩訶目犍連、
仏に従いたてまつりて、聞ける所の未曾有の法と、
世尊の舎利弗に阿耨多羅三藐三菩提の記を授けたもうとに、
希有の心を発し、歓喜踊躍す。
即ち座より起ちて衣服を整え、
偏に右の肩を袒にし、右の膝を地に著け、一心に合掌し、
曲躳恭敬し、尊顔を瞻仰して、仏に白して言さく、
我等僧の首に居し、年並びに朽邁(くまい)せり。
自ら已に涅槃を得て、堪任する所無しと謂いて、
復阿耨多羅三藐三菩提を進求せず、世尊往昔の説法既に久し。
我時に座に在って、身体疲懈(ひけ)し、
但、空、無相、無作を念じて、菩薩の法の遊戯神通し、
仏国土を浄め、衆生を成就するに於いて、心憙楽せざりき。
所以は何ん。世尊、我等をして三界を出でて、涅槃の証を得せしめたまえり。
又今我等、年已に朽邁して、
仏の菩薩を教化したもう阿耨多羅三藐三菩提に於いて、一念好楽の心を生じき。
我等今仏前に於いて、声聞に阿耨多羅三藐三菩提の記を授けたもうを聞きて、
心甚だ歓喜し、未曾有なることを得たり。
謂(おも)わざりき、於今忽然に希有の法を聞くことを得んとは。
深く自ら慶幸す、大善利を獲たりと。
無量の珍宝、求めざるに自(おのずか)ら得たり。
世尊、我等今者楽わくは、譬喩を説いて、以って斯の義を明さん。
譬えば人有って、年既に幼稚にして、父を捨てて逃逝(じょうぜい)し、
久しく他国に住して、或は十、二十より五十歳に至る。
年既に長大して、加(ますま)す復窮困し、四方に馳騁して、

以って衣食を求め、漸漸に遊行して、本国に遇い向かいぬ。
其の父先より来、子を求むるに得ずして、一城に中止す。
其の家大いに富んで、財宝無量なり。
金銀、瑠璃、珊瑚、琥珀、頗棃珠等、其の諸の倉庫に、悉く皆盈溢(よういつ)せり。
多く僮僕、臣佐、吏民有って、象馬、車乗、牛羊(ごよう)無数なり。
出入息利すること、乃ち他国に徧し。
商估賈客(しょうこ・こきゃく)亦甚だ衆多なり。
時に貧窮(びんぐ)の子、諸の聚落に遊び、国邑を経歴して、
遂に其の父の所止の城に到りぬ。
父毎に子を念う。子と離別して五十余年、
而も未だ曾て、人に向って此の如き事を説かず。
但自ら思惟して、心に悔恨(けこん)を懐く。
自ら念わく、老朽して多く財物有り。
金銀、珍宝、倉庫に盈溢すれども、子息あること無し。
一旦に終没しなば、財物散失して委付する所無けん。
是を以って、慇懃(おんごん)に毎に其の子を憶う。
復是の念を作さく、
我若し子を得て、財物を委付せば、坦然快楽にして、復憂慮無けん。

世尊、爾の時に、窮子傭賃(ぐうじ・ゆうにん)展転して、父の舎に遇い到りぬ。門の側に住立して、
遥かに其の父を見れば、師子の牀に踞して、
宝几足を承け、諸の婆羅門、刹利、居士、皆恭敬し囲繞せり。
眞珠の瓔珞、価直千万なるを以って其の身を荘厳し、
吏民、僮僕手に白払(びゃくほつ)を執って左右に侍立せり。

覆うに宝帳を以ってし、諸の華旛を垂れ、香水を地に灑(そそ)ぎ、
衆の名華を散じ、宝物を羅列して、出内取与す。是の如き等の種種の厳飾有って威徳特尊なり。
窮子、父の大力勢有るを見て、即ち恐怖を懐いて、此に来至せることを悔ゆ。竊(ひそ)かに是の念を作さく、
此れ或は是れ王か、或は是れ王と等しきか、我が傭力して物を得べき処に非ず。
如かじ、貧里に往至して肆力地(しりきところ)有って衣食得易からんには。
若し久しく此に住せば、或は逼迫(ひっぱく)せられん。強いて我をして作さしめんかと。
是の念を作し已って、疾く走って去りぬ。
時に富める長者師子の座に於いて、子を見て便ち識りぬ。
心大いに歓喜して、即ち是の念を作さく。
我が財物、庫蔵、今付する所有り。
我常に此の子を思念すれども、之れを見るに由無し。
而るを忽ちに自ら来れり。甚だ我が願い適えり。
我年朽ちたりと雖も猶故貪惜(とんじゃく)す。
即ち傍人を遣わして、急に追うて将(ひき)いて還らしむ。


爾の時に使者、疾く走り往いて捉う。
窮子驚愕して、怨なりと称して大いに喚ばう。
我相犯さず、何ぞ捉(とら)えらるることを為る。
使者之れを執(と)らうること、愈(いよいよ)急にして、強いて牽将(ひき)いて還る。
時に窮子自ら念わく
罪無くして囚執(とら)えらる。此れ必定して死せん。
轉た更に惶怖し悶絶して地に躃(たお)る。
父遙かに之を見て、使に語って言わく、此の人を須(もち)いじ。
強いて将いて来ること勿れ。
冷水を以って面に灑いで、醒悟することを得せしめよ。復与し語ること莫れ。
所以は何ん。父其の子の志意下劣なるを知り、自ら豪貴にして、子の為に難る所を知って、

審かに是れ子なりと知れども、方便を以って他人に語りて、是れ我か子なりと云わず。
使者之に語らく、
我今汝を放す。意の所趣に随え。
窮子歓喜して未曾有なることを得て、地より起きて貧里に往至して、以って衣食を求む。

爾の時に長者、将に其の子を誘引せんと欲して、方便を設けて、
密かに二人の形色憔悴(ぎょうしき・しょうすい)して、威徳無き者を遣わす。
汝彼に詣いて、徐(ようや)く窮子に語るべし。
此に作処有り、倍して汝に直を与えん。
窮子若し許さば、将いて来り作さしめよ。
若し何の所作をか欲すと言わば、便ち之に語るべし。
汝を雇うことは、糞(あくた)を除(はら)わしめんとなり。

我等二人、亦汝と共に作さんと。
時に二人の使人、即ち窮子を求むるに、既已に之を得て具さに上の事を陳ぶ。

爾の時に窮子、先ず其の価を取って、尋(つ)いで与に糞を除う。
其の父、子を見て、悲しんで之を怪しむ。
又他日を以って、窻牖(そうゆ)の中より遙かに子の身を見れば、
羸痩憔悴(しゅそう・しょうすい)し、糞土塵坌汗穢(ふんど・じんぽん・わえ)不浄なり。
即ち瓔珞細輭(ようらく・さいなん)の上服、厳飾の具を脱いで、
更に麤弊垢膩(そへいくに)の衣を著、塵土に身を坌(けが)し、
右の手に除糞の器を執持して、畏るる所有るに状(かたど)れり。
諸の作人に語らく、
汝等勤作して、懈息(けそく)すること得ること勿れと。
方便を以っての故に、其の子に近づくことを得つ。後に復告げて言わく、
咄(つたな)や、男子、汝常に此にして作せ、復余(また・ほか)に去ること勿れ。
当に汝に価を加うべし。諸の所須有る盆器、米麺、塩酢の属あり。
自ら疑い難(はばか)ること莫れ。亦老弊の使人有り、須いば相給わん。
好く自ら意(こころ)を安くせよ。我汝が父の如し。
復憂慮すること勿れ。所以は何ん。
我年老大にして、汝小壮なり。
汝常に作さん時、欺怠(ごたい)、瞋恨(しんこん)、怨言有ること無かれ。
都べて汝が此の諸悪有らんを、余の作人の如くに見じ。
今より已後、所生の子の如くせん。
即時に長者、更に与に字を作って、之を名づけて児と為す。

爾の時に窮子、此の遇を欣ぶと雖も、猶故(なお)自ら客作の賤人と謂えり。
是れに由るが故に、二十年の中に於いて常に糞を除わしむ。
是を過ぎて已後、心相体信して入出に難(はばか)り無し。

然も其の所止は猶本処に在り。
世尊爾の時に長者疾(やまい)有って、自ら将に死せんこと久しからじと知って、
窮子に語って言わく、
我今多く、金銀、珍宝有って倉庫に盈溢(よういつ)せり。

其の中の多少、応に取与すべき所、汝悉く之を知れ、我が心是の如し。
当に此の意を体るべし。所以は何ん。
今我と汝と便ち為異らず。宜しく用心を加うべし。漏失せしむること無かれ。

爾の時に窮子、即ち教勅を受けて、衆物の金銀珍宝、及び諸の庫蔵を領知すれども、
而も一餐(いっさん)を稀取(けしゅ)するの意無し。
然も其の所止は、故本処に在り。下劣の心、亦未だ捨つること能わず。
復少時を経て、父、子の意漸く已に通泰して、大志を成就し、
自ら先の心を鄙(いや)しんずと知って、終らんと欲する時に臨んで、其の子に命じ、
并(並)に親族、国王、大臣、刹利、居士を会むるに、皆悉く已に集まりぬ。

即ち自ら宣言すらく、
諸君当に知るべし。此は是れ我が子なり。
我が所生なり。某の城中に於いて、吾を捨てて逃走して、伶俾(りょうびょう)辛苦すること五十余年。
其の本の字は某。我が名は某甲。昔本城に在って、憂を懐いて推(たず)ね覓(もと)めき。
忽ちに此の間に於いて、遇い会うて之を得たり。
此れ実に我が子なり。我実に其の父なり。

今吾が所有の一切の財物は、皆是れ子の有なり。
先に出内する所は、是れ子の所知なり。
世尊、是の時窮子(ぐうじ)、父の此の言を聞いて、即ち大いに歓喜して、
未曾有なることを得て、是の念を作さく、
我本心に、稀求する所有ること無かりき。
今此の宝蔵、自然にして至りぬ、といわんが若し。
世尊、大富長者は即ち是れ如来なり、我等は皆仏子に似たり。
如来常に、我等は為れ子なりと説きたまえり。
世尊、我等三苦を以っての故に、生死の中に於いて諸の熱悩を受け、
迷惑無知にして小法に楽著(ぎょうじゃく)せり。
今日世尊、我等をして、思惟して、諸法戯論の糞を蠲除(げんじょ)せしめたもう。
我等中に於いて、勤加精進して涅槃に至り、一日の価(あたい)を得たり。
既に此れを得已って、心大いに歓喜して、自ら以って足れりと為す。
便ち自ら謂(おも)いて言わく、
仏法の中に於て、勤めて精進するが故に、所得弘多(ぐた)なりと。
然も世尊、先に我等が心弊欲に著し、小法を楽うを知しめして、
便ち縦(ゆる)し捨てられて、為に汝等、当に如来の知見、宝蔵の分有るべしと分別したまわず。

世尊、方便力を以って、如来の智慧を説きたもうに、
我等仏に従いたてまつりて涅槃一日の価を得て、
以って大いに得たりと為して、此の大乗に於いて、志求有ること無かりき。
我等又、如来の智慧に因って、諸の菩薩の為に、開示演説せしかども、
而も自ら此に於いて、志願有ること無し。
所以は何ん。仏我等が心小法を楽うを知しめして、方便力を以って、我等に随って説きたもう。
而も我等、真に是れ仏子なりと知らず。
今我等方に知りぬ。世尊は仏の智慧に於いて、悋惜(りんじゃく)したもう所無しと。
所以は何ん。我等昔より来、真に是れ仏子なれども、而も但小法を楽う。
若し我等、大を楽うの心有らば、仏則ち我が為に、大乗の法を説きたまわん。
此の経の中に、唯一乗を説きたもう。
而も昔、菩薩の前に於いて、声聞の小法を楽う者を毀訾(きし)したまえども、
然も仏、実には大乗を以って教化したまえり。
是の故に我等説く、本心に悕求(けぐ)する所有ること無かりしかども、
今、法王の大宝自然にして至れり。
仏子の応に得べき所の如き者は、皆已に之を得たり。

爾の時に摩訶迦葉、重ねて此の義を宣べんと欲して、偈を説いて言さく、
我等今日、仏の音教を聞いて、
歓喜踊躍して、未曾有なることを得たり、
仏声聞、当に作仏することを得べしと説きたもう、無上の宝聚、求めざるに自ら得たり
譬えば童子、幼稚無識にして、
父を捨てて逃逝(じょうぜい)して、遠く他土に到りぬ、諸国に周流すること、五十余年
其の父憂念(うねん)して、四方に推求し
之を求むるに既に疲れて、一城に頓止す、舎宅を造立して、五欲に自ら娯しむ
其の家巨いに富みて、諸の金銀、
硨磲碼碯(しゃこ・めのう)、真珠瑠璃多く、
象馬牛羊、輦輿(れんよ)車乗、
田業僮僕、人民衆多なり、
出入息利すること、乃ち他国に徧し、
商估賈人(しょうこ・こにん)、処として有らざること無し

千万億の衆、囲繞し恭敬し、
常に王者に、愛念せらるることを為、
群臣豪族、皆共に宗重し、
諸の縁を以っての故に、往来する者衆し、
豪富なること是の如くにして、大力勢有り
而も年朽邁(くまい)して、益(ますます)子を憂念す、
夙夜(しゅくや)に惟念すらく、死の時将に至らんとす、
癡子(ちし)我を捨てて、五十余年、
庫蔵の諸物、当に之を如何すべき

爾の時に窮子、衣食を求索して、
邑(さと)より邑に至り、国より国に至る、
或は得る所有り、或は得る所無し、
飢餓羸痩(るいしゅ)して、体に瘡癬(そうせん)を生ぜり
漸次に経歴して、父の住せる城に到りぬ、
傭賃(ゆうにん)展転して、遂に父の舎に至る

爾の時に長者、其の門内に於いて、
大宝帳を施して、師子の座に処し、
眷属囲繞し、諸人侍衛せり、
或は金銀宝物を、計算し、財産を出内し、注記券疏する有り
窮子父の、豪貴尊厳なるを見て、
謂(おも)わく是れ国王か、
若し是れ王と等しきかと、驚怖して自ら怪む、何が故ぞ此に至れる
覆(ひそ)かに自ら念言すらく、我若し久しく住せば、
或は逼迫せられ、強いて駆って作さしめん、是れを思惟し已って、馳走して去りぬ、
借問は貧里にして、往いて傭作(ゆうさ)せんと欲す
長者是の時、師子の座に在って、
遥かに其の子を見て、黙して之を識る
即ち使者に勅して、追い捉え将いて来らしむ、
窮子驚き喚びて、迷悶して地に躃(たお)る、
是の人我を執う、必ず当に殺さるべし、
何ぞ衣食を用って、我をして此に至らしむる、
長者子の、愚癡狭劣にして、我が言を信ぜず、是れ父なりと信ぜざるを知って
即ち方便を以って、更に余人の、
眇目矬陋(みょうもく・ざる)にして、威徳無き者を遣わす、

汝之に語って云うべし、当に相雇って、
諸の糞穢(ふんえ)を除(はら)わしむべし、倍して汝に価を与えんと、
窮子之を聞いて、歓喜し随い来りて、
為に糞穢を除い、諸の房舎を淨む
長者牖(まど)より、常に其の子を見て、
子の愚劣にして、楽って鄙事(ひじ)を為すを念う
於是に長者、弊垢(へいく)の衣を著、
除糞の器を執って、子の所に往到し、
方便して附近き、語って勤作せしむ、
既に汝が価を益し、並びに足に油を塗り、
飮食充足し、薦席厚暖(せんじゃく・こうなん)ならしめん、

是の如く苦言すらく、汝当に勤作すべし、
又以って輭語(なんご)すらく、若我が子の如くせん
長者智有って、漸く入出せしむ、
二十年を経て、家事を執作せしめ、
其に金銀、真珠頗棃(はり)、
諸物の出入を示して、皆知らしむれども、
猶門外に処し、草菴に止宿して、
自ら貧事を念う、我に此の物無しと、
父子の心、漸く已に曠大なるを知って、財物を与えんと欲して、
即ち親族、国王大臣、刹利居士を聚めて、
此の大衆に於いて、説く是れ我が子なり、
我を捨てて他行して、五十歳を経たり、子を見てより来、已に二十年、
昔某の城に於いて、是の子を失いき、
周行し求索して、遂に此に来至せり、
凡の我が所有の、舎宅人民、悉く以って之に付す、其の所用を恣(ほしいまま)にすべしと
子念わく昔は貧しくして、志意下劣なりき、
今は父の所に於いて、大いに珍宝、
并(並)及に舎宅、一切の財物を獲たりと、
甚だ大いに歓喜して、未曾有なることを得るが如し


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